邦楽家は「縁遠い」仕事?
「なぜ?」から始まる興味の入り口
こんにちは、和太鼓奏者の兒玉文朋です。突然ですが、皆さんも一度は、「なぜこのお仕事を選んだんですか?」と聞かれた経験があるのではないでしょうか。特に邦楽家は、「代々継ぐ仕事」「少し変わった仕事」「縁遠いもの」と思われることが多いようで、私も何度もこの質問に出会いました。
しかし!「邦楽家=縁遠い」なんて、そんなことは無いんです!
お寺の子として育ちました
私が生まれ育ったのは、東京都の台東区にある「谷中」という場所です。最近では「谷根千」(谷中・根津・千駄木界隈の総称)という言葉もできて、下町情緒や古くからの町並みの観光名所として知られております。また、谷中は「寺町」といって多くのお寺さんが密集した地域でもあり、小学生の頃は何人もお寺の子がクラスメイトにおりました。
実は私もその一人。明和5年(1768年)に創建された臨済宗のお寺の次男として育ちました。
祖父と父はお坊さんとして日々を勤め、祖母、母、叔母は毎日着物で働く。それが私にとっての日常であり、和服や本堂にある太鼓も当たり前にそこに在ったものだったのです。
偶然と必然が混ざり合って
けれど、日本的なものが身近にある環境で育ったからといって、小さい頃から邦楽を習っていたわけではありません。
書道やピアノなどは習っていましたが、中学・高校の頃はプロ野球選手の夢を追い、高校卒業後は保育の専門学校(しかもキリスト教の学校でした笑)に入学、さらにその年、芸能事務所に入り、役者として活動いたしました。そうしてやっと、和太鼓と出会ったのです。
私は代々邦楽家の家庭でもなければ、音大も出ておりません。「ちょっと面白そう」とほんの少しの興味を持ったことがきっかけになり、様々な偶然と必然が混ざり合った結果、このお仕事に就いています。
ただ、最近不思議なのは、これまでの経験が今のお仕事に繋がっていること。例えば、書道でその字の繋がりや意味合いを考えることが太鼓の音の繋がりや美意識を養い、野球で身につけた身のこなしや精神力が演奏に生かされ、舞台経験からステージングや制作、創作を勉強することができたようにです。
「興味」の先に広がる新しい環境
私のお仕事は、楽器は同じであれ、日本舞踊や歌舞伎の際に演奏されているお囃子とは少し異なる、謂わば「新興の創作太鼓」。太鼓は母胎で聞く音に酷似していると言われており、またその人の感情や性格が最も出やすいとても魅力的な楽器です。
(と、ほとんど自己紹介になってしまいましたが笑)この記事をちょっとした「興味」でご覧になったあなたも、この先、もしかしたらどこかで邦楽と繋がっていくかもしれませんね!
ぜひ、「縁遠い」ものとして敬遠せず、「なぜ○○なんだろう?」そんな疑問から和ものに興味を持っていただけましたら幸いです。
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