なぜ「付人」から始めるのか
付人とは?
みなさんこんにちは、笛方の福原寬です。今回は、我々邦楽家が、修行時代をどうして「付人(つきびと)」から始めるのかをお話ししたいと思います。
我々の世界の現場修行は先ず、付人として師匠についてお世話をしつつ、師の演奏を間近で見聞きすることから始めます。最近、テレビなどでもよく、芸能人に付人がいて世話をしている様子が映ることがありますが、よく似ているように思います。
師匠の着替えや鞄持ちは勿論ですが、楽屋入りしましたら他の先生方のお茶のお世話や草履を揃えたり、舞台の進行を伝えたりと沢山の仕事が待っています。簡単に言えば雑用係なのですが、実はそこに大切な教えがあるのです。
付人が学ぶ“大切なこと”
オーケストラの演奏とは違い、邦楽には指揮者はいません。三味線、唄、笛、太鼓、小鼓、大鼓など、それぞれの演奏者は、互いの息を合わせて間を取ります。
そのため、舞台演奏で大切な心構えの一つは、「相手の息を感じ、想いを察する」ことです。これはとても大切なことで、この心が備わらない演奏家はプロフェッショナルとはいえません。
お互いにこの心をもって、しかも其々の気をぶつけ合う瞬間に、素敵で楽しい間が生まれ、充実した演奏となるのです。
そして実はこの「相手の息を感じ、想いを察する心」は、実際の演奏とはなにも関係無さそうな雑用によって育まれます。
付人は、楽屋の中の様子を見て、先生方の考えを慮り、その場に必要なことを自分の頭で考えます。勿論初めは叱られてばかりですが、相手のために一所懸命に動いておりますと、やがて相手が何を考え、何を欲しているのか、どのように動けば相手のためになるのかを考える、その心の働きを会得できるのです。
(といっても、何事にも無駄はないと知るのは随分後になるかもしれませんが…^^;)
相手のことをひたすら考え、想いを察しようと駆け回る「付人」時代があってこそ、素晴らしい演奏のできる邦楽家になれるのです。みなさんも息の合った演奏に出会ったら、その心がどんな経験で育まれたのか、ぜひ想像してみてください。
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